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鉄の歴史1/2

鉄の歴史 その①

はじめに

 

紀元前1500年ごろ、エジプト王国のとなりにヒッタイト帝国があった。

このヒッタイト族は鉄(Fe)の加工技術を持っていた。だから強かった。

 

ここまでは学生時代に世界史の授業で習いました。

技術者となったいま思うのは、ヒッタイト族は鉄ではなく鋼(はがね)を製造していたのではないだろうか?ということです。

調べてみたところやはりヒッタイト族は鋼を製造していたようです。

 

 

ヒッタイトの位置 世界史の窓より引用
ヒッタイトの位置 世界史の窓より引用

鉄と鋼

 

鉄と鋼の違いは何か?結論としては鋼というものは鉄にほんのちょっぴり炭素(C)を混ぜたものです。

鉄そのものは柔らかくて工業品の材料としては向きません。

鉄が柔らかいということはどういうことか?

例えばいわゆる鉄板(厳密にはほとんどの場合で鋼)を曲げると曲がります。

同じ様にガラスを曲げようとすると曲がらずに割れてしまいます。

ガラスは硬くて脆(もろ)い。鉄(鋼)は柔らかくて延びる。ということです。

ではその柔らかい鉄をどのようにして使用するのか?

炭素、これは鉛筆の芯やダイヤモンドになるもので、非常に硬い。硬くて脆い。この炭素をちょっぴり混ぜることで適度に硬くします。

およそ0.02%~2%ほどの間で欲しい硬さを得ます。用途によって割合が変わります。これを鉄鋼(てっこう)、鋼鉄(こうてつ)、あるいは鋼(はがね)といいます。

鋼は時と場合のよっては刃金とも書かれ、刃物に適した金属、ということです。

 

ここで、基本的に地上で採れる鉄は酸化鉄(要はサビた鉄)であるため、鉄を取り出す(精錬する)ためには1,500℃程度まで加熱しなければならなく、非常に高いエネルギーが必要です。

このため古代の人類にとって鉄を精錬して工業品として加工して使用することは難しいことでした。

ちなみに青銅を製造するためには1,000℃くらいまで加熱します。

 

古代の鉄

古代の話に戻ります。

紀元前1,500年ごろ、ヒッタイト族以外の部族は鉄を利用していなかったのでしょうか?

これも面白いことに同年代、紀元前1300年ごろエジプトにいたツタンカーメン王。黄金のマスクで有名なツタンカーメン王。彼の棺には1本の短刀が収められていました。

ツタンカーメンの短刀と呼ばれるこの短刀は「鉄製」です。

 

ただし、ヒッタイト族の鉄とツタンカーメン王の短刀の鉄は明確な違いがあります。

「岩手県立博物館だより No.106」によるとカマン・カレホユック遺跡で出土した、つまりヒッタイト族の遺跡から出土した鉄片、3片のうち2片から安定的に0.1~0.3%の炭素が検出されました。つまりこれは鉄に炭素を含む「鋼」であると推定されています。

ヒッタイト族の鉄(の一部)は鋼であるという事です。

 

一方、ツタンカーメン王の短刀からはコバルトやニッケルが検出されています。これらの金属を含む鉄は隕鉄(いんてつ)と呼ばれます。

隕鉄は隕石由来の鉄です。

 

地球上にある鉄、地球由来の鉄はその多くは酸化鉄として存在し、酸化鉄として採取されます。

隕石由来の鉄はコバルトやニッケルといった金属を含む鉄として採取されます。

隕鉄の歴史はより古く、ツタンカーメン王の時代からさらに1,000年ほど前から加工されて利用されていることがわかっています。

 

なおこの頃の鉄は非常に貴重であり、金よりも高価でした。

大村幸弘氏、篠原千絵氏の「ヒッタイトに魅せられて」によるとアッシリアの粘土板文書の中には「鉄は金の40倍の価値がある」と書かれているそうです。

また、左巻建男氏の「世界史は化学で出来ている」によると、時が流れて古代ギリシアの地理学者、ストラボーン(紀元前64年~24年頃)の「地理学」には金10と鉄1を交換したと記述があるそうです。

 

隕鉄に話を戻すと、ここで一つ疑問が湧いてきます。

なぜコバルトやニッケルと含むと隕石由来の鉄であるということが言えるのか?

 

鉄の起源を探っていくと見えてきました。(続く)

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